灰色のメッシュシートに包まれた共同住宅の前を通り過ぎると、掲示板に工事の工程表と説明会の案内が貼られている。ベランダの洗濯物は数か月消え、外壁を叩く音が昼間の団地に響く。誰もが一度は見たことのある、十数年に一度の風景である。
この光景は、たいてい暗い話とともに語られる。建物も住民も老い、積立金は足りず、工事は先送りされ、やがて廃墟に近づいていく。国土交通省の資料によれば、マンションストックは2024年末時点で約713.1万戸、築40年以上はその約2割にあたる148万戸で、そのうち約55%は世帯主が70歳以上である。令和5年度マンション総合調査では、積立金の残高が計画に対して「不足していない」と答えた管理組合は約4割にとどまる。読めば読むほど、縮みゆく負担の物語に見える。
だが、それは住民の側だけを見た話である。
足りないのは、本当に工事の需要なのか
同じ統計を発注の側から読むと、数字の意味が変わる。国土交通省の資料では、大規模修繕の周期は13年が最も多く、約7割が12年から15年の範囲に収まる。つまり700万戸を超える住戸を抱える建物群が、十数年ごとに工事の順番を迎える。住宅ローンや新築の着工戸数のように、金利の上下で需要そのものが消える性質のものではない。
積立の仕組みも、ゆっくりとだが動いている。25年以上の長期修繕計画に基づいて積立金を設定している管理組合の割合は、平成15年度の19.7%から令和5年度には59.8%へ上がった。月額の修繕積立金は1戸あたり平均1万3,054円で、平成30年度の1万1,243円から増えている。それでも国は同じ割合を令和12年度までに75%へ上げる目標を置いており、裏を返せばまだ4割の組合が長期の計画に基づいていない。他方で国の資料は、建設工事費や資材の高騰で長寿命化工事の費用が上昇傾向にあるとも記す。積立金が増えても、工事費がそれを追い越していく。
かくして問題は、工事があるかどうかではなくなる。あるのは需要の不足ではなく、支払い能力のばらつきである。
なぜ同じ修繕が、組合ごとに別の仕事になるのか
令和5年度の調査によれば、管理計画認定の基準をすべて満たす管理組合は4.8%にすぎない。基準のうち「計画期間が30年以上で大規模修繕を2回以上含む」を満たすのは42.5%、「積立金の平均額が著しく低額でない」を満たすのは37.4%である。累計の認定は令和8年3月末時点で3,740件にとどまる。一方で、認定を受けた組合には融資金利の引き下げの対象となる道があり、長寿命化工事を行った建物には固定資産税の減額措置があって、その適用は令和6年度の3,469件から令和7年度の暫定値で6,033件へ増えた。
ここに見えるのは、お金の準備ができた組合と、そうでない組合の二極化である。前者には相見積もりと価格の競争が待つ。後者に必要なのは、工事の前に計画を作り直し、積立金の値上げや借入の合意を支えるところからの伴走である。工事を一式で請ける会社にとって、この二つは別の仕事だと言ってよい。
全国を相手にする大手にとって、一棟ごとに総会の合意を待つ小さな案件は手間が重い。かといって地場の小規模な業者には、足場を組み、複数の棟を同時に動かし、数か月の工期を支える体力が足りないことがある。診断と計画の段階から入り、地域の中規模の棟を継続して引き受ける役割は、地方の中堅の改修工事会社が担いうる位置である。既存住宅の取引とリフォームの市場は令和5年に16.9兆円で、国は令和17年までに20兆円とする目標を掲げている。
受注を増やすほど、資金繰りは楽になるのか
そう単純ではない。修繕工事は住民の合意を経て初めて確定し、説明会から着工まで時間がかかる。その間に技術者を抱え、足場や仮設の費用を立て替え、資材の値上がりを見積もりの中に吸収しなければならない。需要が安定していても、案件ごとの現金の出入りは安定しないのである。
資金の組み方は、この時間差から逆算することになる。工事の立て替えには出来高と支払いの間隔に合わせた短期の運転資金枠を当て、診断や計画の人材の採用は既存事業のキャッシュフローで何年支えられるかを先に試算する。足場や車両はリースと借入のどちらが回収期間に合うかを比べ、長く残る資産には長期の固定金利を当てる。金利上昇の局面で変動金利の短期枠を膨らませすぎれば、数か月の工期のあいだに採算が削られかねない。
見落とされやすいのは、発注者の資金調達が受注者の資金繰りを左右する点である。住宅金融支援機構のマンション共用部分リフォーム融資は、管理組合向けに返済期間を最長20年で用意し、東京都はこの融資に年1%の利子補給を行う仕組みを持つ。都の対象額は200万円、耐震改修を伴う場合は600万円に住宅戸数を掛けた額などが上限である。組合がこうした借入を使えるかどうかで、工事の着工時期も支払いの確度も変わる。そうだとすれば、組合の財務を見立てる力は、受注の与信管理そのものではないだろうか。
足場の内側で、誰の十数年が決まるのか
メッシュシートの前を通る人は、相変わらず住民の負担を思い浮かべるのであろう。だがその覆いは、13年前後の周期で必ずめぐる受注の印でもある。掲示板の工程表の裏側には、組合の積立金と工事会社の運転資金という二つの帳簿が張り付いている。次の周期が来るまでに、どちらの帳簿を、誰がどの資金で支えるのか。
出典
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の融資判断・税務判断・投資判断を示すものではありません。制度内容は改正される場合があります。実行にあたっては必ず一次情報をご確認のうえ、金融機関または専門家にご相談ください。